2008年8月5日火曜日

移動まちづくり委員会報告(2008/07/05開催)

2008/07/05 

移動まちづくり委員会報告 ~からほりまち歩きと意見交換会~【報告】




 7月5日土曜日。当日は梅雨時にもかかわらず、ギラギラと焼けつくような太陽を天に仰ぎ、お天気に恵まれすぎた絶好?の散策日和でした。集合場所は地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅下車歩いて1分のところ。からほり地区の北西端にある施設「錬」の中庭です。参加者はまちづくり委員11名、委員の関係者8名です。日ごろの委員会の開始時間とは裏腹に、集合時間の午後2時を待たずして参加者は全員集合。「やればできる」!ん?朝寝坊の常習遅刻の小学生が、遠足の日には早起きして、一番に登校してくるのとさほど変らないということでしょうか‥。


 空堀の地名は秀吉時代の大阪城を取り囲んでいた惣構(そうがまえ)堀のひとつ、南惣構堀が存在したことを今に伝える地名で、この堀は水を入れない空の堀だったことに由来しています。現在は上町筋から谷町筋までほぼ平らになっていますが、当時は坂道や崖が続いており、今でも空堀商店街は西への下り坂になっています。この周辺は戦災で焼け落ちることがなかった為、土地の勾配をたくみに利用した町屋、路地に面して建つ古い長屋など、昔ながらの風景が今も残っているめずらしいまちと言えます。


 「からほり倶楽部」とは、美しく歴史のあるまちの保存・再生・活用をし、イキイキした活力あるまちづくりを通して、新しい時代の中に古いものの持つ良さを取り入れることで新旧世代、文化の共生を願い長屋を再生するプロジェクトをしている団体です。長屋再生は「惣」に続き、「練」はその第2弾です。この屋敷は兵庫県の舞子にあった旧有栖宮の別邸を、大正時代の末期に移築したものと伝えられています。「練」の名ですが、大阪城の瓦はこのあたりの土地で採掘した土を焼いて造られています。土練りの工程から、この屋敷の中に「和」、「洋」、「新」、「古」を練りこむことで新しい再生を目指すという意味を以て「練」と名付けたそうです。


 まち歩き出発に先立ち、本日案内いただく「からほり倶楽部」の山根さん、松富さん、平川さんから「からほり倶楽部」の取組みなどのガイダンスを受けました。この倶楽部の理事のほとんどが建築設計か、まちづくり系の仕事を専業とされています。
ここで参加者を2チーム「若者チームと年寄りチーム」に分けて1時間30分のまち歩きに出発しました。出発する方向は異なりますが、散策コースと内容は次に記す通りです。

 「練」→長屋再生プロジェクト「惣」→「萌」(ホウ=直木三十五記念館)→観音坂→長屋デイサービスセンター「陽だまり」→レンガ路地を横目で見ながら→六軒長屋跡「釜戸ダイニング縁」→オープンスペース「水琴窟」→「錬」。コース全般で石垣や路地、階段と坂道、長屋を見ることができました。


事前に歩いた空堀商店街は、小さな面積で品数の少ない青果店とたこ焼き屋、メンチカツのお店、和菓子屋、お茶屋さんがことのほか多く感じて競合しないのかと疑問を抱いたり、一方ではそれでも商売が成り立っているのは周辺には相当大きな購買力が存在しているのではと納得してみたり。サプライズとして、素人のおっちゃんが数年越しの町屋再生、それもセルフビルドに挑戦している現場を見ることができました。その行動力とパワーには驚きを超えて脱帽です。恐るべし「からほり」でした。


 町屋・長屋を問わずこの地域は軒先やケラバを銅板で巻き付けた重厚な構えが目を引きました。歴史に残る「上町焼け」嘉永5(1852)年12月5日、東横堀・材木町(現・中央区)より出火、東は谷町、北は槍屋町まで延焼。この年は他にも4月21日「道頓堀焼け」、11月19日「中船場焼け」と大きな火災が相次いだことが住民の防災意識を高くしたのでしょうか。きっちりと1時間30分のまち歩きを消化し、異文化に遭遇したまち歩きを終え脱水症状を覚えながらも無事「錬」に生還することができました。

 このあと、「錬」2階にある装和着物学院で意見交換会を行いました。質問の内容は主にまちづくり(長屋再生複合ショップ等)はお金になるのかといったものでした。得た回答は以下のとおりです。


 家主に外観の修復する諸費用の負担を願い、内部造作はテナントの費用負担となる。「からほり倶楽部」は工事にかかる一切の費用負担はしていない。賃借した施設を小分けしてテナントに又貸しすることで容易に借りられる状況を作り出す。家主に支払う賃貸料のほぼ倍の金額でテナントに貸している。「からほり商店街界隈長屋再生プロジェクト」として平成13年に立ち上げ、まちの魅力再発見に繋がればと楽しめるイベントを進めてきた。

 平成18年に企業組合として「長屋すとっくばんくねっとわーく」を設立、法人化した。NPOとしなかったのは、企業や個人が組合員として参画し、協働しやすいことをメリットとしている。訪れる人にまちの案内などをしているが、それらの費用収入も含めるとなんとか活動費は捻出できている。

 以降の懇親会は、途中で見た六軒長屋といっても道で分断された長屋の一軒で、右肩上がりのお店「釜戸ダイニング縁」で行いました。ここで持ち上がった話は「路地文化」でした。開催場所は未定ですが、急きょ兵庫・大阪と近県で「路地会議」を開催することが酒の上での話し?で決定!からほり倶楽部の諸氏も参加を快諾してくれて意義深いからほり移動まちづくり委員会は散会となりました。